システム

出典: 一般システム学

システムという言葉は、ギリシャ語の「結合する」という意味の語に由来する[1]。だからシステムは、常識的には、結合された要素のまとまりとして定義されている。この定義は、システム/要素関係を全体/部分関係と同一視しているわけだが、システムは部分から合成された全体ではないし、ましてや全体と部分との空間的な包摂関係ではない。では、システムの本質はどこにあるのか

目次

システムの基本概念

システムは単なる要素の集まり以上であり、この「以上」が選択性である。システムは、要素をどう結合するかを選択し、そして選択された結合様式が、システムの構造となる。システムとは、選択すること以外の何ものでもないと言ってよい。

例えば、奇数のシステムを例にとって考えてみよう。奇数の集合Sは、

S={1,3,5,7,9…}

という集合とみなされている。しかしそうした要素の単なる寄せ集めがシステムなのではない。奇数というシステムは、整数という地平において、奇数を選択し、偶数を排除する機能(function 関数)である:

S={x|x=2n+1∧n∈整数}

2とか3.5とか4iも数である以上は奇数の候補だが、奇数というシステムは、こうした他の可能性を排除する。排除された他の可能性は、当のシステムの環境にあたる。偶数のシステムや無理数のシステムは、奇数のシステムの環境に属する。システムは自己を環境から区別する機能である。これもシステムのもう一つの定義であるが、被定義項が定義項に含まれているので、良い定義とはいえない。

以上の分析から、システム論を理解するうえで重要な四つの概念、

  1. 要素(先ほどの例では、数)
  2. 構造(選ばれた奇数)
  3. システム(奇数を選ぶこと)
  4. 環境(選ばれなかった数)

を得た。以下、システムの概念を、要素構造環境の概念を解明することによって、理解していくことにしよう。

要素と複雑性

システム論では、要素の可能な組み合わせ方の数が、複雑性と呼ばれる。複雑性を理解するためには、以下のように複雑性と複合性を区別しなければならない。

複合的/単一的=全体/部分
複雑/単純=不確定/確定

一つの全体としての複合系は、複数の部分から複合されていて、その複数性が複合性に該当する。これに対して複合様式は、実際とはまた他のようにも可能なわけで、この可能的世界における複数性が複雑性である。

この区別を理解するために、"book"という単語を例にとって考えてみよう。この単語は四つの文字から複合されているので、複合性を持っている。英語のアルファベットは26文字あるので、4文字からなる単語を作るには、26の4乗(456976)通りの方法がある。もしも"obko"という組み合わせを選ぶならば、それは無意味な文字の羅列である。もしも"fuck"という組み合わせを選べば、それは所謂フォーレターワードで、下品な言葉になる。情報システムとしての文字の書き手は、不確定な環境に、すなわち無意味や不適格という危険に我が身をさらしているのである。こうした不確定性が複雑性である。複雑性の対数はエントロピーと呼ばれる。何らかの形相もしくは秩序が現れるためには、エントロピーは減少しなければならない。エントロピーを減らすことは、ネゲントロピー(負のエントロピー)と名付けられている。

システムと構造

ネゲントロピーは、高エントロピーの環境に囲まれた低エントロピーを作り出す。ネゲントロピーはシステムの機能であり、低エントロピーは、構造の特性である。構造は、自己自身を可能ならしめているとみなされるなら、それ自体システムであるが、そのシステムは、より高次のシステムによって可能ならしめられているのかもしれない。

システム/構造あるいはネゲントロピー/低エントロピーは、選択する/選択されるあるいは基礎付ける/基礎付けられるの関係にある[2] が、このことは、システムが構造とは別であるということを意味しない。選択するシステムと選択された構造が相互浸透的であることを認識することは重要である。フォーレターワードを選ぶ人は下品である。すなわち下品な言葉を選ぶシステムは、それ自体下品である。システムが何であるかは、システムが何を選ぶかによって決められる。だからシステムは、構造とは不可分である。

システムを構造と絶対的に区別することが不毛であるもう一つの理由は、区別が相対的であるということである。あるものがシステムか構造かは、観点によって変わってくる。氷山を自己組織的とみなすならば、それはシステムである。極条件によって規定されていると考えれば、氷山は、地球システムの構造の一部分(サブシステム)である。

では、この世界には独立自存のシステムがあるだろうか。おそらく一つもないであろう。どんなシステムも基礎付けのネットワークの中にある。だから選択される構造は、選択されるシステムと同一視しても実際上の問題はない。しかし概念上両者を区別することは可能だし、少なくとも哲学にとっては必要である。

システムと環境

最後に環境の概念を検討しよう。システム/環境関係は、システム/要素関係が全体/部分関係と混同されがちであるのと同様に、内部/外部関係と混同されがちである。こうした空間的な概念把握はナイーブであり、不毛でもある。

そもそも内部/外部はどのように定義されるのか。内部/外部は、過去/現在/未来という時間的区別が客観的でないのと同様に、客観的ではない。こうした区別を自分の主観に言及することなくすることができるであろうか。球の内部を、x2+y2+z2<r2というように数学的に、つまり主観への言及なしに記述することはできる。しかしその領域を内部と呼ぶ時、その人は「もしも私がそこにいるならば、それは私にとって内部に相当するであろう」という想定をしているのである。こうした想定は、その領域が自分の身体と類似しているから可能なのである。それゆえ、内部と外部の区別は身体図式に基づいている。

私たちの身体は、免疫メカニズムを見れば明らかなように、自己を環境から区別するという意味でシステムである。身体システムの場合においてさえも、システム/環境という区別は内部/外部という区別と完全には合致しない。癌は、身体の中でエントロピーを増大させるが、身体は、癌に逆らって生き延びようとする、つまりエントロピーを減少させようとする。この意味において、癌は身体システムの環境に属するが、癌は身体の内部に属するのである。非物質的システムにおいては、違いはもっとはっきりしている。裏切り者は、自分の社会システムの内部に存在するが、環境に属している(そうでなければ、裏切り者ではなくて、通常の敵になる)。

システム/環境関係は、内部/外部関係ではなくて、ネゲントロピー/エントロピー関係に等しい。システムの外部が空間的な周辺であるのに対して、環境は、システムの他の可能なあり方から成り立つ論理空間である。そうした可能的システムは、システムの外部に実際に見出されるかもしれないが、それでも外部と環境の区別は妥当であり、必要である。

脚注

  1. [d] 英語の“system”はラテン語の“systema”、さらにはギリシャ語の“σύστημα”に由来し、“sustema”は“συνιστάναι”から派生した。“sunistanai”は、「ともに」という意味の“sun”と「立てる」という意味の“histemi”から作られた動詞の能動不定法形である。アリストテレスは『形而上学』でプラトンの理論体系に言及する時などに“sustema”という言葉を使っているが、この術語がアリストテレスの造語なのかどうかはわからない。なお、“system”は自然科学では系と訳される。
  2. 一般にシステムと構造は、同じように使われることが多いのだが、“structure”は“struere”の過去分詞に由来することを考えるならば、システムと構造を能動と受動の関係で理解することは、語源的に見て、不当ではない。
 
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